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原英莉花・ゴルフ上達の秘訣
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今年の国内女子ツアーで『日本女子オープン』と『JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ』の公式戦2試合を制した原英莉花。21年も今シーズンは続くが、現段階で賞金ランキング3位とプロ入り最高の1年を過ごした。原といえば、日本ゴルフ界のレジェンドであるジャンボ尾崎の愛弟子として知られるが、どのような経緯で師弟関係を結んだのだろうか。
原がジャンボと初めて出会ったのは、今から約7年前の14年1月4日だった。前年の8月にあるジュニアの大会で上位に入った原のスイングを見た芹澤名人が、親交のあった尾崎智春氏に連絡。当時の智春氏はスポーツ選手のマネジメントをしていたこともあり、その話に興味を持つ。そこで原の実力が本物かどうかを見定めてもらうために、父であるジャンボ尾崎のところへ連れていったのだった。連絡を受けてから半年ほど時間が経過しているのは、原がまだ高校1年生だったため、冬休みに入るのを待っていたからだ。
千葉にあるジャンボ邸には広大な敷地を利用した練習場が設けられていて、練習グリーンやバンカーのほか、トレーニングを行うスペースなどが完備されている。当時15歳だった原は、ジャンボが現役時代にどれだけ活躍していたのかを直接見たことはなかったが、自分なりにその実績は調べており、単純にすごい人だという印象は持っていた。ただ、基本的に女子を教えないジャンボには原に対するウエルカムな雰囲気はなく、その体から発せられるオーラにただただ恐怖心を感じ、なぜ自分はここに連れてこられたのだろうかとさえ思ったという。
とりあえずジャンボの前で9番アイアンを打ち続けた後、ドライバーを打ってみろと促されたので、思い切って振り抜いてみた。その弾道を見た瞬間、ジャンボの表情が変わる。原の打席の真後ろにイスを用意すると長い間、原の練習をじっくりと見続けた。その様子を間近で見ていた智春氏によれば、ジャンボがあそこまで驚いた表情を見せるとは思わなかったらしく、同時にジャンボが原のポテンシャルの高さを感じた瞬間だったという。
お互いに何かを感じ取ったのだろう。練習を終えた原はジャンボにまた訪問したい意向を伝えると、ジャンボから「いつでも来ていいぞ」という予想外の答えが返ってきた。以来、原は毎週日曜日になるとジャンボ邸へ足を運ぶようになる。高2に進級すると、日曜日のほか、夏休みなどの長期休暇もジャンボ邸で練習することが多かった。単純にボールを打つだけでなく、ジャンボが考えたトレーニングのメニューもこなすことで、いつの間にかスイングに大切な下半身も鍛えられ、その長打力にも磨きがかかった。特に、バンカー内でのタイヤ引きは相当辛く、雨が降るとドロドロになった砂の抵抗が大きく、なかなか進まなかったという。足を取られて転ぶことも多く、文字どおり泥だらけになりながら体を鍛えた。
スイングに関しては、現在、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーのコーチを務める山田竜太プロがメインで指導したが、中身はジャンボの理論そのものだった。単にインパクトでボールにクラブヘッドを合せるようなスイングから、上体をしっかりと捻転し、タメを作ってからクラブを下ろすスイングに変えたことで、ボールにパワーが伝わり、風にも負けない強いボールを打てるようになったという。その甲斐あって、高3のときにはレギュラーツアーに出場しても予選通過するぐらいの腕前になっていた。その後の活躍はご存知の通りだ。
もしも15歳の原がジャンボを納得させるだけのドライバーショットを打っていなければ、師弟関係は結ばれていなかったかもしれないが、今にして思えば、類まれな才能同士が出会うべくして出会ったようにも感じる。
山西英希
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